芸者は日本の芸術文化のひとつで、世界的に有名です。東京では芸者と呼ばれますが、京都では芸妓と呼ばれています。どちらも芸が達者な女性を指し、見習いは東京では半玉と呼ばれ京都では舞妓と呼ばれます。愛らしい舞妓は、京都を訪れる国内外の観光客にも人気があります。
踊りや歌、三味線などの芸を宴席で行う芸者や芸妓の歴史は長く観光ガイドでも簡単に紹介されています。一人前になる前の未成年の少女が舞妓で、5年間の修行をしてから芸妓になります。京都の祇園など花街にある置屋に所属して、各お茶屋へ行き芸を披露します。
お茶屋や置屋が集まる花街の中でも、全国的に有名なのが祇園です。芸の世界は厳しい世界で、舞妓になる前は仕込みと呼ばれ置屋で先輩と共同生活をしながら行儀作用や舞などを習います。仕込みから約1年後には舞妓になり、さらに厳しい修行を行います。舞や三味線、お座敷での接待を学び修業期間が終われば衿かえの儀式を行います。
衿かえの儀式を終えて芸妓になっても、芸に磨きをかける日々が続きます。芸者の歴史は、約300年前の江戸時代から始まっています。始まりは東山周辺の水茶屋で、水茶屋は旅人や神社仏閣を参詣する人々にお茶を出す店です。店で働いていた女性が舞を見せたり歌を聞かせたりしたのが、芸妓や舞妓の始まりになります。
お茶や団子を出していた水茶屋が次第に料理や酒を出すようになり、働いていた娘が踊りや三味線や踊りを披露するようになって発展したのが現在の花街です。現在でも、芸を磨きながら多くのプロが花街で活躍しています。舞妓は京風の髷を自分の髪で結い上げますが、経験年数によって結い上げる髪型が異なります。経験の浅い女性は、裾引きの着物を着て座敷に上がります。外を歩く時は、帯から下の裾までの部分を必ず左手で持ち歩くのが習わしです。帯から下の裾までを褄と呼び、左手で褄を持つのは芸妓のプライドを暗示しています。
舞妓を卒業して芸妓になると、日本髪かつらを着用します。花街では、毎年1月7日に里に帰っていた関係者が花街に戻って始業式を行います。始業式はもちろん他にも大切なイベントがあり前の年に成績が良かった舞妓や芸妓、お茶屋の表彰が行われます。祇園は一見の客を断るイメージが強いため最初から諦めてしまう人もいますが、一見さんでも気軽に遊べる店は存在します。費用も比較的手頃ですが、お座敷体験の料金は料亭によって異なります。