銀閣寺は正式名称を東山慈照寺と呼び、京都の観光名所の一つとなっています。銀閣寺の歴史は室町幕府八代将軍足利義政が1482年に山荘、通称東山殿として造営をはじめたことから始まりました。残念ながら義政は完成を待たずに死去し、完成したのは1490年の2月です。1月に亡くなった義政の菩提を弔うため、東山殿を禅寺に改装しています。東山文化の象徴として位置づけられており、戦後1952年には庭園が特別史跡及び特別名勝に指定されました。

その後、1994年には古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産荷も登録されています。歴史的にも非常に価値のある建物と庭園で、多くの人が毎年訪れてきました。 銀閣寺の特徴は東山文化の集大成となっているところです。東山文化とは1400年代、室町時代中期の文化でちょうど足利義政が生きていたころに流行していた文化といえます。詫び・サビの有限性と簡素な美が特徴の一つです。公家と武家及び禅宗や庶民の文化が良い形で融合しており、さらに日明貿易の影響も含まれていました。 銀閣寺はなぜ銀箔でおおわれていないのかという疑問には、複数の説が存在しています。本来銀箔を貼る予定だったが足利義政の妻である日野富子が許さなかったという説や、応仁の乱の影響で幕府自体に資金がなかったなど複数の説が話題となることが多いです。なお、それ以外にたまたま建物の形状が似ていること、北山文化の象徴である金閣寺に対比する形で名勝が後からつけられたなどの説が存在しています。
銀閣寺の見どころとして有名なのは、椿の生垣です。入り口を入ると広がっている独特の椿の生垣は入ってきた人すべてを圧倒します。特徴的な白砂の模様と盛砂も見逃すことはできません。建物自体は木造2階建ての楼閣で、当初は黒漆塗りだったと解説されています。 それ以外にも将軍が愛用したお茶の井跡では現在でもお茶会の飲料水として使用されているほど、良質な水をくむことができる井戸であることで、お茶を愛好する人々に知られてきました。もちろん井戸だけではなく、展望所からの眺めが有名です。小高い丘の上化に道ができており、その一番上の部分から見る今日の街並みは絶景といってもいいでしょう。
苔寺を手本として作られている庭園は、池泉回遊式庭園と呼ばれ、池の周りを一周していると庭園の眺めを見ることができるタイプの物です。国の特別史跡・名勝に指定されているだけあって、苔のこんもりした温かみある風景や季節ごとの花々の景色も印象深いといいます。土の季節に見ても同じ表情を見せないところがポイントです。 みやげ物は銀閣寺の参道にある商店街や、庭園の最後にある店舗で購入できます。